昨日は就労者の集いでした
今回の発表者の方は40代の女性
病状だけでなく学生の頃からの思いを振り返って話してもらいました
小さかった頃は活発だったけど、小学2年生あたりから周りが気になり始めビクビクしていた
勉強くらいはできないといけないと感じて取り組んだ。もしかしたらその時から強迫的な行動だったのかもしれないと。
第一志望の大学に合格できたが、コミュニケーションが苦手とずーっと感じていたので
逃げられない環境で取り組もうと、運動系のクラブのマネージャーになった。
クラブ活動はほとんどしてこなかったので大変だったけど、学びの多い学生生活であったこと
大学卒業後は大手の建設メーカーに就職して、秘書的な営業事務の部署に配属された
「人と関わりたい」という思いから、同期の集まりなどがあれば幹事などを積極的に
やっていた。でも、どこかで爆弾を抱えているような感覚があった。
29歳頃に私生活も含めたストレス、オーバーワークによる過労から
会社で大声で怒鳴る。急に泣き出す。数日後にうつ状態になった。
休みを取り沖縄に行ったり、1か月ずつ休職期間を延ばしたりしている時に
急に「神様が近くにいて、自分の内面的な問題が解決されたような感覚」になり
自分が病気であったこと、一気に治ったと感じた。
その後、復職はしたがうつっぽくなることも有り、再発が怖くなり
会社を退職した。発病がきっかけで彼女の人生は動き出す
自分が病気になったことで「精神疾患に関することを伝えたい」と思い記者を目指して
東京に行く、「生きがいを感じたくて、障害者施設の指導員になる」「福祉系の資格を取る」
仕事の方はどれも当初はやりがいを感じて取り組めたが、自信が持てなかったり
妄想的な気分になったりして結局退職という形になる
関わりのあった相談員から勧められ数人の当事者と始めた「当事者研究会」は人数やメンバーを変えながら継続していた。
42歳頃に「人と関わって生きていきたい」と思っていたのに「人間が怖くなって何もできなくなる」「迷惑をかけてしまう自分がサポートなんてできないのでは?」と悩む状態がつづき、「何についても技術がない。誰の役にも立っていない」と気が付き唖然となり絶望した。「色々と取り組んでみたが、障害者福祉の現場で過ごすことが一気に閉ざされた感覚」になった
自分も通っていて雰囲気もいいなと思っていた「タイ式マッサージ」でアルバイトしたり
短期間だけB型の施設に通ったりした。生活リズムも付き、勤務歴のある経営コンサルの会社で
週5日勤務する形になった。
紆余曲折ありながら、今は週2日はフルタイム、残りの3日は半日という形で働いている。
小さな会社であるので日中は自分と社長だけで、色々な手続きの事務処理などを
やっていること、スキルが足りないがやりがいがある事、当事者研究会で近況を話すことも月2回続けている。
数年前から関わりがあり、聞き役として感じたことは、強い怒りや衝動性もある陽性症状もあり
症状的には陽性症状のあとには重い鬱症状があり、また日常的に軽い鬱状態が続いている。
働くたびに再発や病状の悪化につながっていると表面的には見えるかもしれないが
「働くことで病状をコントロールしている」と本人が話していることが真実なんだろうと
強く思えたこと、働き方や自助グループも自然に彼女に合う形で変化しているのかもと
今回の打ち合わせや振り返りの場面でもいつか、市民向けのセミナーを
できるといいな。そんな話がたくさんあった。
病で失うものも多いかもしれないが、何か大切なものを身につけている
だけど、自信も持てなくて実感がないところもあるような気がしました
参加をされた皆さんからも
出来ているところも多いのに、できないところにフォーカスが当たる
人目を気にしすぎて、人間関係で疲れてしまう
頑張りすぎて症状が悪化してしまい、やりたいと感じているものが継続できない
というところもその後の質疑応答などでも
話せたところかもしれません
参加をして下さった皆さん
サポートで連絡調整をしてくれた皆さん
急きょ、会場にお越しいただいたお二人
本当にありがとうございました。
つたない進行であったこと、wifiの環境調整の不備や音声の乱れで
ご迷惑をかけてしまいました。
オンラインということで発言のタイミングが分かりづらいところなども多々あったように思います
ご意見等があれば、またメール等でお知らせいただけると助かります
また可能であれば12月頃に企画させていただければと思っております
社会情勢的なところもありますが、会場で集まりながら話す+オンラインという形が取れれば
と思っています。
今回の発表者の方は40代の女性
病状だけでなく学生の頃からの思いを振り返って話してもらいました
小さかった頃は活発だったけど、小学2年生あたりから周りが気になり始めビクビクしていた
勉強くらいはできないといけないと感じて取り組んだ。もしかしたらその時から強迫的な行動だったのかもしれないと。
第一志望の大学に合格できたが、コミュニケーションが苦手とずーっと感じていたので
逃げられない環境で取り組もうと、運動系のクラブのマネージャーになった。
クラブ活動はほとんどしてこなかったので大変だったけど、学びの多い学生生活であったこと
大学卒業後は大手の建設メーカーに就職して、秘書的な営業事務の部署に配属された
「人と関わりたい」という思いから、同期の集まりなどがあれば幹事などを積極的に
やっていた。でも、どこかで爆弾を抱えているような感覚があった。
29歳頃に私生活も含めたストレス、オーバーワークによる過労から
会社で大声で怒鳴る。急に泣き出す。数日後にうつ状態になった。
休みを取り沖縄に行ったり、1か月ずつ休職期間を延ばしたりしている時に
急に「神様が近くにいて、自分の内面的な問題が解決されたような感覚」になり
自分が病気であったこと、一気に治ったと感じた。
その後、復職はしたがうつっぽくなることも有り、再発が怖くなり
会社を退職した。発病がきっかけで彼女の人生は動き出す
自分が病気になったことで「精神疾患に関することを伝えたい」と思い記者を目指して
東京に行く、「生きがいを感じたくて、障害者施設の指導員になる」「福祉系の資格を取る」
仕事の方はどれも当初はやりがいを感じて取り組めたが、自信が持てなかったり
妄想的な気分になったりして結局退職という形になる
関わりのあった相談員から勧められ数人の当事者と始めた「当事者研究会」は人数やメンバーを変えながら継続していた。
42歳頃に「人と関わって生きていきたい」と思っていたのに「人間が怖くなって何もできなくなる」「迷惑をかけてしまう自分がサポートなんてできないのでは?」と悩む状態がつづき、「何についても技術がない。誰の役にも立っていない」と気が付き唖然となり絶望した。「色々と取り組んでみたが、障害者福祉の現場で過ごすことが一気に閉ざされた感覚」になった
自分も通っていて雰囲気もいいなと思っていた「タイ式マッサージ」でアルバイトしたり
短期間だけB型の施設に通ったりした。生活リズムも付き、勤務歴のある経営コンサルの会社で
週5日勤務する形になった。
紆余曲折ありながら、今は週2日はフルタイム、残りの3日は半日という形で働いている。
小さな会社であるので日中は自分と社長だけで、色々な手続きの事務処理などを
やっていること、スキルが足りないがやりがいがある事、当事者研究会で近況を話すことも月2回続けている。
数年前から関わりがあり、聞き役として感じたことは、強い怒りや衝動性もある陽性症状もあり
症状的には陽性症状のあとには重い鬱症状があり、また日常的に軽い鬱状態が続いている。
働くたびに再発や病状の悪化につながっていると表面的には見えるかもしれないが
「働くことで病状をコントロールしている」と本人が話していることが真実なんだろうと
強く思えたこと、働き方や自助グループも自然に彼女に合う形で変化しているのかもと
今回の打ち合わせや振り返りの場面でもいつか、市民向けのセミナーを
できるといいな。そんな話がたくさんあった。
病で失うものも多いかもしれないが、何か大切なものを身につけている
だけど、自信も持てなくて実感がないところもあるような気がしました
参加をされた皆さんからも
出来ているところも多いのに、できないところにフォーカスが当たる
人目を気にしすぎて、人間関係で疲れてしまう
頑張りすぎて症状が悪化してしまい、やりたいと感じているものが継続できない
というところもその後の質疑応答などでも
話せたところかもしれません
参加をして下さった皆さん
サポートで連絡調整をしてくれた皆さん
急きょ、会場にお越しいただいたお二人
本当にありがとうございました。
つたない進行であったこと、wifiの環境調整の不備や音声の乱れで
ご迷惑をかけてしまいました。
オンラインということで発言のタイミングが分かりづらいところなども多々あったように思います
ご意見等があれば、またメール等でお知らせいただけると助かります
また可能であれば12月頃に企画させていただければと思っております
社会情勢的なところもありますが、会場で集まりながら話す+オンラインという形が取れれば
と思っています。