本日は就労者の集いでした
本日はヒロサキさんという30代の男性にインタビューをしています
(本人の了承を得てアップしています)
今までの経歴
高校の時は野球部に所属していていた。ゴリゴリの体育会系で、大学生の時は野球もしていなかった。アニメが好きで家でみていることが多かった。卒業後は割と大きな会社の営業職に就くことになった。その会社を辞めて、アンカーに来た。
発達障害について、芦屋の病院に行っていた。抑うつが強かった。生活リズムが崩れやすくて1年以上調整しているのに中々な落ち着かなかった。発達の簡易検査などをやっていると発達のグレーゾーンと言われた。
今、思い出せば新卒採用の会社でも書類の印鑑漏れやメール処理をしている時に別のメールが届くと届いたものの処理に向かい、また新しいものが来るとそれの処理をして結局、どれも片付かないそんなこともあった。
東京に住んでいる時は思い立ったら2時間後には船に乗って父島に行ったり、子どもの頃も授業中に問題を出され、話題が変わって40分ほどたってから急に手を挙げて発言する⇒みんなポカーンとしているということもあった。
⇒特性が分かってからは、色々気が付いてからは相談できるようになった
病名を告知された時はホッとした。忘れ物が多く、財布もよく無くす。かばんを変えると100%忘れる。グレーゾーンと言われたところもしっくり来た。努力が足りないと言われることが多かったので安心したところがあった。
今でも朝はテンションが低いことも多く、公共交通機関が止まって、今日休みにならないかなと今でも結構思う
当時の服薬について
サインバルタメインで、エビリファイも飲んでいた。⇒今は飲んでいない、通院もしばらくしていない
最初の会社
新卒で入った会社は仕事がただ多く、終電が当たり前でタクシーや社用車で帰るような毎日だった。雪だるま式に仕事が増えてしまい、なかなか優先順位をつけられなかった。予告なく会社に行けなくなった。
病気でそうなのか、努力が足りないのか
⇒ロックマンのタンクのように自分の(気分や体力の)ゲージで捉え方が変わるところもある。自分がやり切ったかどうかにこだわり、白黒思考も今でも結構ある。なりたい自分の為に悩んでいるので、なりたい自分になれればと思っている。ゲージが高いとプラスで考えられ、ゲージが低いと悪く考えてしまうところがあるように思う。
今は入社5年目だけど、入社半年くらいまでは、ほぼ毎日昼休みに彼女とかに「もうやめる」と愚痴っていた。一番しんどい時には世の中「みんな敵や」と思っていたけど、少しずつ味方認定をしていたところもあるように思う
職場の人間関係
最初の会社は20名くらいの営業マンがいたが、今は社長とマンツーマンなので「この人とうまくやればいいんだ」と思って気が楽だった。入社の当初は勤務時間よりかなり早い時間で帰らせてもらってありがたいと思っていた。
ADHDで受け身の時に眠くなることがあるか?
今の会社は会議がほとんどない。前の会社はほとんど聞いていなかったかもしれない。会議ではないけど、できない事が多くて、自分は忘れ物が多く、お客さんの所に行くときにスリッパで出かけそうになったり、納品の商品を忘れて高速道路に乗ってから気が付くところなんかもあった。最初からやる気なくてできないのはダメだが、やってみてできないのは仕方ないと思えるようになった。うまく行かない時のリカバリーとして、失敗したときは「なぁなぁ」にせず、きっちり謝ることは大切にしている。そうしないと自分がすっきりしない。やる気がないと思われるのが嫌で、分別が付かない人から言われないようにしている。ここまでやったから「大丈夫」ということで線引きをしているところもあるのかも。
営業職について
自分の中では目標設定しやすい職種だと思う。SE(システムエンジニア)などはいくらでもやれるので大変だと思う。営業は数字につながることであればやる。そうでなければやらない。分からないことは上司に尋ねて解決できるけど、他の職種は完ぺきな流れがあっても品質保証などの部署では、お客さんが納得しないとダメみたいなところがあるので難しいと思う
体調や気分の維持について
⇒クリアできていないと思う。寝れない時はそれでへこむ、休めていないと自分で謎のスケジュールを決めてそれ通りにならないと落ち込むみたいなところもあった。周りに声をかけてもらってしていた、今の職場でも通院や症状も言ったり、営業職なのに営業したくない事なんかも話していた。(全部を話しOKとは思っていないが)全部隠してやっていくのではもたなかった。会社がガソリンをまき散らすように吐き出せる環境があったので良かったと思う
遠くに遊びにいくとかの発散が人間関係がよくなっている状態ではなくなるか?
⇒もしかしたら減ったかもしれない。ここから「逃げたい」とかいう衝動は減ったかもしれない。単純に行きたくて仕方ないというところはある。昔は「またあそこに戻らなあかん」と思うことがあったが、今はあまりない。気になりすぎるとやってしまったほうが楽みたいな思考になっている。急に行くことを悪くは思わなくなった。人に迷惑をかけているかどうかは周りに言ってもらっている
就活での特性などの伝え方
⇒その時の自分が大切にしていたのは、体調の回復が最優先だった。それがかなわない会社では働く気がなかった
最初から全部言ったのではなく、履歴書を見られて、ブランク等のことを聞かれて言うかどうか迷ったけど、その時の人や会社の雰囲気を見て、話すことを決めた。どれが正義かとかはなく、印刷とかには興味は全くなく(笑)。家から近い、給与、営業職(それも前職からやっていたことくらい)
基本は誠実でそれで悩むこともあるが、採用してくれなかったら「もうええわ」と投げやりな感じではなく、嘘ついてまで働きたくない、かといってなんでも言ってもいいとかではなく。白黒思考ではなかったかも。
知り合いの人とかでも(病気や障がいの事を)入ってから伝える人もいたし、障がい者雇用でも伝えにくい会社もある。その時に自分が何を大事にするか、それがかなわない時には受かっても断ろうかと思っていた。自分が味方認定している家族や彼女や仲間のみんなが賛成してくれたら、入社しようとも思っていた。賛成してくれたので行くことを決めた
最低限の覚悟や意欲は、うまく言えたかどうかはわからないけど、思いは伝えられたのかもしれない。お薬の事や生活リズムのことなども不安定だった。結婚や服薬の話なんかもしながら、体力的なことの不安なども含めて話して、できることは一生懸命やるということは話せたかもしれない。
物事の捉え方
しんどいところを吐き出せるようになってきた。職場でもちょいだしできるようになった。
愚痴などを聞いてくれる人がいる。「いいよ」と言ってくれる人は楽だけど、振り返ってみると、しっかりと怒ってくれた人がありがたかった。自分も苦手だけど、自分もダメな事をきちんと言えるようになりたい。誠実の大事なラインは自分で決めて言えるようになりたい。まわりの評価もあるだろうけど、自分がやり切れるかどうかが大切だと思う
体調から悪かったりするとなりたい自分も最初から諦めたりというところもある。なので吐くことも大切で、今、営業で壁にぶち当たっているところもある
アンカーに来るまではみんなが敵に見えていたところもあった。それぞれの場所で仮面をつけていた。病気になったことも家族も気が付かなかった。八方美人どころではなくどこから見ても相手の求めるいい顔をしていた。
最近嬉しかったのは、新規の営業が苦手な自分が飛び込みで1件取れた。社長や先輩は「(1件なので)へー」という感じだったけど自分の中では全米が震撼したと映画の紹介であるがごとく嬉しかった。これを積み重ねたいと思っている。
頑張ることをあきらめてダラダラやろうと毎日思う。朝は調子が悪くて、昼くらいに少し元気なり、夕方に乗ってきて、「最初からやれよ!」って自分でも思う。「でもいいか」とも思っている。週2くらいで悔しくて泣いている。用事ないけど遠くの出張を入れて、移動中に心の休憩を入れていたりしている
結婚・恋愛
付き合って5年半(3年半は遠距離)の彼女がアメリカに住んでいる
結婚もしたいと思っている。少しずつ貯金もできるようになった。
子供の問題があるが、彼女は40くらいまで海外でやりたいと話している。自分の中では答えは決まっているが、年内には結論を出したい。一人で出産などの不安も彼女にもある。自分も今行きたいかと思うと、お世話になった会社の人や親の事なんかもある。どっちも取れるようにやってみたいと思っている。あがくだけあがいてみようと思っている。
音声データ(standFMにて聞けます。概ね1時間ずつのデータです)
↓
ヒロサキさんインタビュー①
ヒロサキさんインタビュー②
オンライン3名、直接参加7名、合計10名の参加でした
接続ができないとか、日時的に都合が付かなかったという声もあり
また、次回以降調整できればと思っています
色々な生きづらさや工夫や努力、葛藤なんかが
話せた集まりでした。話したりないところもあったりして
今回の参加してくださった皆さん。問い合わせをしてくれた皆さん
お手伝いをしていただいた皆さん、ありがとうございます
また数か月に一度くらいのペースになりますが、企画できればと思っています