アンカー神戸三宮ブログ

障がい者就労移行支援施設アンカー神戸三宮のブログです。 授業内容等、活動内容を随時アップさせて頂きます。

タグ:体験談


当日の音源です(参加の方の了承をいただいています)

https://stand.fm/episodes/66527947dd39c048fc1b025e

〇 高齢者施設で相談員の仕事をして3か月目、病気があることを伝えている
仕事は営業的なところが多く如何に利用さんを集めたりする事やノルマ的なところもある
上司が現場の人にも偉そうでいい仕事をする人が辞めてしまう
その上司はpcで何かやってて定時でさっと上がる。自分たちにはプライベートも削るのが美徳だと言ってくる。少し上の世代の人との付き合い方、やたらマウントを取ってくる人とのかかわり方について

⇒気持ちとしてはやめたい。逃げたいという気持ちもあるが周りの支えもある。このままでいいのかという思いもある
⇒そんな上司は変わらない。不安やストレスでいっぱいになっていると思う。現場の人にも相談をしてその上司の敵を増やして包囲網を作る。しんどい中でうまく続けてく方法で、相手は宇宙人だと思ってやってみる。自分はお金儲けをやりに来ているんだと思って、1時間経ったら「いくら入る」とか考える
⇒相手は変わらない。数年辛抱すれば相手のほうが年齢が上なので辞めてくれる。相手と意見が違いすぎる時「あなたらしい意見ではない」と伝えてみる脳科学者の意見などもあった。何かあったんですか?と聞くと相手に気が付いてもらえるかも。
⇒定年が見えてきているので責任を取るようなことをしたくない。自分の意見を周りが見ている中で伝える。そうすると相手の出世が遅れるとかの状況になるのを嫌がってきて変わってくるかも
⇒我慢してコツコツしていると即効性がないけど、周りの仲間がだんだん増えて、会議とかでも無茶苦茶な上司に同意しない人も増えて状況が緩やかによくなってくる
⇒その上司の上の役割の人に今の状況を手紙に書くみたいな行動をとる。業務分担の再編成をするために、それぞれの仕事をお互いに書きだす。時々自分も当たり散らす人がいる。自分だけきつく言われることもある。
⇒仕方ないので聞き流している。自分は趣味とかで発散している。酷い言い方もするが謝っても来るので聞き流せるとこもある。なるべく関わりをしないようにしていくこと、スルーする。極端な場合は退職も考える
⇒看護師で病棟で勤務していたので、対人関係のストレスはあった。常に患者さんのために頑張るようにするべきことはするというという視点で取り組む。そこをモチベーションにしていた
⇒働いた経験がないのでこのくらいのストレスがかかると持たないと思った。夜眠れないとかの症状が出たら続けられないと思った
⇒風通しのいい職場だったらできるかもと思う。挨拶や雑談の中に入るとかちょっとしたコミュニケーションを大切にできるとわかるかも。自分なら少し我慢して続けるかも。やめると自分も職場を探すのが大変だから、自分が変わって何とかできればと思って




〇 30年くらい同じ会社で勤務している。原子力関連会社で勤務していて
予算を出すなどの事務的な仕事も現場での修理なんかの作業もやっている。
年齢を経てくる中でどんどん仕事は増えてくる。(動いていない原子炉等の兼ね合いで人員削減や予算が付かないとかで業務はあるけど)一緒に働く人は減っていく
もう少し仕事が少なければと思っているが、難しくなってきているので転職をしたい
次の仕事も今までは仕事が向こうからやってくるみたいな感じだったので、どんな仕事をやりたいのかできるのかのイメージがあまり持てないところもある

⇒軸が決まっていない時は、ネットでも業界研究や職種研究ができるといいかも、繰り返すと求人票のイメージを持つ力が付く感じ人材派遣会社さんの中にはハローワークの情報のように表面的なものだけでないものを持っている人もいる。相手も成功報酬制なのでプッシュしてくれるところもあるのではないかと思う
⇒自分自身も考えすぎて、内省しすぎて登録している45歳以上の転職エージェントさんに障害の事も含めて伝えている。考えすぎているので一度就職フェアに行ってみるようにいくように促されることも多い
⇒転職は天国ばかりではないので少し痛みがある
⇒色々試していきながら自分の条件を下げてしまうこともあったが、うつなどの障害で休職をしている中で自分のやることを下げるようなライフスタイルを選択することがなかなか難しかった。でもそれができるようになってものすごく楽になったところもあった
⇒自分の気持ちとしては転職のきっかけは、辞めたい気持ちが強い。公認心理士さんからも退職届を書いてみることを勧められ、自分でも振り返ってみると今の仕事の忙しさがネックであることに気が付けた。転職先が決まってなくてもいいから今の会社を辞めることを言われている



〇 AIとメンタルヘルスを融合した仕事や研究をやってみたいと思うが、メンタルヘルスのアプリを作るところまではいかず、同じような仲間づくりとかってどうやっているのか、東京ではそういったと入り組みをしているB型の事業所があるが、神戸にはないので…
⇒アプリ開発等であれば、パイソンなどを使っていることが多いのでそういった勉強会などもあるので、そういったところに参加してみるコンパス(connpass)というサイトで確認してもいいかも




直接の参加の方9名、オンラインからの参加2名でした。精神科医の先生や看護師さんなどの医療にかかわる方であったり、現職で大変な方、今後の就労の方法を模索する方、色々と話を伺えたように思います。話し切れないところもあった印象もあったので次回以降はグループワーク的なところで進めていくことも検討できればと思っています

参加をしてくださった皆さん、問い合わせをしてくださった皆さん
準備をサポートしてくださった皆さん
本当にありがとうございます。
また次回2~3か月に一度くらいのペースで開催できればと思っています

段々暖かい日が増えてきましたね。
気が付いたら夏になっているのかもしれません

新型コロナの影響も段々とおさまりつつあり、
今までと近い形で就労者の集いも開催できればと思っています
もう少し落ち着けば、お茶を飲みながら、お菓子を食べながらの
集まりを再開できればと思っています


就労者の集い 5.6.10



今回は直接の参加とオンラインソフト「skype」行う予定です。

※会場は三宮駅から南へ徒歩10分のアンカーで行います


・就労しているからこそ、相談できる場面が減った。ほかの人たちがどうしているか知りたい

・就労の準備をやっているけど、どうすれば働けるのかなかなかイメージが付かない

・仕事の応援をしているけど、この方法であっているのかどうかわからない

・就労移行等の卒業生で近況報告的にまた集まりたい


みんなで気軽に話し合いませんか?

気分や体調のこともあるので急な参加やドタキャンもOKです
今回はオンラインなので、好きなんタイミングでご参加いただき
途中で抜けることも可能です。参加者の方のニーズ等、小グループに分けるなど
柔軟に調整していく可能性があります


日時 :6月10日(土) 14:00~16:00
場所 :アンカー神戸三宮(今回はアンカーで行います。土曜の午後、いつものパターンで行う予定です)
      ↓
アンカー神戸三宮 アクセス+オンライン開催


(オンライン参加の方は、無料ソフトskypeをダウンロードしていただけると助かります)
参加費:無料
内容 :働くことやその継続などのついてのグループワークなど

今回のイベントは終了しました。また次回はHPやブログ、SNS等でお伝えします

先日は就労者の集いでした。
直接とオンラインを合わせて18名の参加がありました。

簡単ですがその時のまとめです。

発表者は30代のうつの女性

タイトルなし


〇 職歴など
高校卒業した後に
警察犬の訓練所に住み込みで働いていた。
やりがいもあったが、朝が早いこと、老犬の介護もあり夜中も働いていた
自分を追い込みすぎて、調子を崩した
→退職になった。しばらく療養していた。

犬のテーマパークの募集があった。一度落ちたが
「汚い仕事もできる?」と聞かれ、「できる」と返答して、翌日から勤務した
→6年ほど勤めたが、閉鎖になったので退職になった。
その間に事故にあい、足が悪くなった。

テーマパークの紹介で動物病院で勤めることになったが
大型犬の診察のために抑えることが必要で
(自分が小柄なこともあり)抑える力がなく退職になった

職業訓練をして、銀行系の特例子会社で事務職の立ち上げを
経験した。
後から入社の年上の人も入社する中で「指導」することのストレスや
上司からも叱責を受けて苦しくなった。
それでも自分を追い込んでしまい、休職も勧められたが断り
心療内科を勧められたが断り、結局受診した主治医からも休職を勧められたが断った。親が体が悪いこともあり、自分の仕事での(不調などの)状況は一切言ってなかった。
→会社が親を呼んで、一緒に話してから休職になった。
直後は「職場からいらないと思われている」「居場所ないなぁ」と思った。
拒食・過食を繰り返した。体重が30㎏台になっていることもあった。

カウンセリングで話す中で
「自分の気持ちはどうだった?」「どうしたかった?」と聞かれるときがあったが
それからも「自分がどう考えているか?」話せないことがあった。
表現できるようになったのはつい最近だと思う。


〇 特例子会社で働いてみて
・しんどかったところは、自分の見た目や雰囲気が柔らかくとらえられることが多かったので(指導役求められて)「頑張って怒る」「頑張ってきつく言おう」としていたら、陰で言われだすことが増えた。嫌がらせもあった。リーダー職で「上からの指示を言わされる役割のしんどさも経験した」
・良かったのは、
自分の障害について話し合う時間があった。
有給がとりやすい仕組みがあった
知的障害の社員さんが作業系の仕事しかしていなかったが、事務の仕事を一から始めて教えた二人の社員さんそれぞれが一人で仕事できる。いきいき働いているのが見えた時にうれしかった。誰かがいきいきしているのがうれしい

〇 成育歴
小さなころから親の顔色を見ていた。
母親が喜ぶことを考えて行動していた。大きくなってもそういうところが
残っているところがある。「自分のことを言えない」ところがあった。
昭和の父で、仕事が一番で飲んで帰り、家族のことはそっちのけだった
兄は思ったことをやるタイプで、こどもらしいところもあったが
私は、人の顔色見るし、言ってほしいだろうことを言うタイプだったので
親からしてもかわいくなかったのかもしれない。

〇 今の仕事
今の仕事は色々な仕事があり、優先順位が付けられなかった
どれから進めるかなど、聞いていいのかわからなかった
「人に聞けない癖のある自分」が会社で聞けたのは、
「怒られなかった。」「嫌な顔をされなかった。」
自分が勝手に負の感情を受け取りすぎていた。
スタッフさんにも仲介しもらい、会社の上司などが自分の考え方に寄り添ってくれる「そういう風に受け取るんだ」「そういう受け取りになるのか、勉強なったわ~。ありがとう」と言ってくれて、信じても大丈夫な上司なんやと思えた。
働いている会社では、20名くらいいる。やり取りをしているのは上司一人になっている。他の人とはやり取りは挨拶のみの時であったり、毎日やり取りすることもある
→慣れてくると誰とでも話せるが、職場ではまだ緊張している感じがある。雑談とかを振ってくれて、少しほっとしているところも増えた。

職場で使っているチャットの良さは、聞くタイミングが難しかったけど、チャットからの発信で声がかけやすい。デメリットは自分の受け取りが悪くなってしまうときがある。

将来的には時間なども伸ばしていきたいと思っている。緊張感から、テレワークのほうが安心だと思っている。
緊張感を下げるためか、上司があるときから、フランクに話してくれるようになって「家でしんどいことないの?」「娘のお弁当のいいアイデアない?」と聞いてくれるようになってから、関係性がよくなったと思う。



standFM その1(音声データ)

standFM その2(音声データ)
https://stand.fm/episodes/632f1fa78a2675ed2d5bc51c


集団での話したことなど
〇 話しかけやすい人、何かを伝えやすい人がいる。忙しそうな人、威圧的な人、相手の年齢や性別などそれぞれ合う合わないがあるかも。

〇 lineで言い合ったときなどは
うまく言えない時もある。言いすぎてしまうことを謝罪すること
「ついつい言い過ぎやすいので、言いすぎてしまってごめん」
というのも方法かも。

感想戦では、親との関係性などについての悩みなどが多く上がっていて、早くに親が自死したり、厳しい親が高圧的だったり、その関係性に悩む場面人の多さが目立ちました。

色々話すことが仕事を続けるコツなのかもしれません。誰かに話しながら、自分に話しているのかもと

またこういう機会を作っていければと思っています

今回も集まって下さった皆さん、準備を手伝ってくださったみなさん
何かと応援してくれている皆さん。ありがとうございました。

また数か月に一度のペースになるかと思いますが
開催できればと思っています。

新型コロナが落ち着けば、ご飯食べたり、お酒飲みながら
やれたらいいなぁと思っています。

昨日は就労者の集いでした

今回の発表者の方は40代の女性
病状だけでなく学生の頃からの思いを振り返って話してもらいました

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小さかった頃は活発だったけど、小学2年生あたりから周りが気になり始めビクビクしていた
勉強くらいはできないといけないと感じて取り組んだ。もしかしたらその時から強迫的な行動だったのかもしれないと。

第一志望の大学に合格できたが、コミュニケーションが苦手とずーっと感じていたので
逃げられない環境で取り組もうと、運動系のクラブのマネージャーになった。
クラブ活動はほとんどしてこなかったので大変だったけど、学びの多い学生生活であったこと

大学卒業後は大手の建設メーカーに就職して、秘書的な営業事務の部署に配属された
「人と関わりたい」という思いから、同期の集まりなどがあれば幹事などを積極的に
やっていた。でも、どこかで爆弾を抱えているような感覚があった。
29歳頃に私生活も含めたストレス、オーバーワークによる過労から
会社で大声で怒鳴る。急に泣き出す。数日後にうつ状態になった。
休みを取り沖縄に行ったり、1か月ずつ休職期間を延ばしたりしている時に
急に「神様が近くにいて、自分の内面的な問題が解決されたような感覚」になり
自分が病気であったこと、一気に治ったと感じた。

その後、復職はしたがうつっぽくなることも有り、再発が怖くなり
会社を退職した。発病がきっかけで彼女の人生は動き出す

自分が病気になったことで「精神疾患に関することを伝えたい」と思い記者を目指して
東京に行く、「生きがいを感じたくて、障害者施設の指導員になる」「福祉系の資格を取る」
仕事の方はどれも当初はやりがいを感じて取り組めたが、自信が持てなかったり
妄想的な気分になったりして結局退職という形になる
関わりのあった相談員から勧められ数人の当事者と始めた「当事者研究会」は人数やメンバーを変えながら継続していた。


42歳頃に「人と関わって生きていきたい」と思っていたのに「人間が怖くなって何もできなくなる」「迷惑をかけてしまう自分がサポートなんてできないのでは?」と悩む状態がつづき、「何についても技術がない。誰の役にも立っていない」と気が付き唖然となり絶望した。「色々と取り組んでみたが、障害者福祉の現場で過ごすことが一気に閉ざされた感覚」になった

自分も通っていて雰囲気もいいなと思っていた「タイ式マッサージ」でアルバイトしたり
短期間だけB型の施設に通ったりした。生活リズムも付き、勤務歴のある経営コンサルの会社で
週5日勤務する形になった。

紆余曲折ありながら、今は週2日はフルタイム、残りの3日は半日という形で働いている。
小さな会社であるので日中は自分と社長だけで、色々な手続きの事務処理などを
やっていること、スキルが足りないがやりがいがある事、当事者研究会で近況を話すことも月2回続けている。

数年前から関わりがあり、聞き役として感じたことは、強い怒りや衝動性もある陽性症状もあり
症状的には陽性症状のあとには重い鬱症状があり、また日常的に軽い鬱状態が続いている。
働くたびに再発や病状の悪化につながっていると表面的には見えるかもしれないが
「働くことで病状をコントロールしている」と本人が話していることが真実なんだろうと
強く思えたこと、働き方や自助グループも自然に彼女に合う形で変化しているのかもと

今回の打ち合わせや振り返りの場面でもいつか、市民向けのセミナーを
できるといいな。そんな話がたくさんあった。
病で失うものも多いかもしれないが、何か大切なものを身につけている
だけど、自信も持てなくて実感がないところもあるような気がしました

参加をされた皆さんからも
出来ているところも多いのに、できないところにフォーカスが当たる
人目を気にしすぎて、人間関係で疲れてしまう
頑張りすぎて症状が悪化してしまい、やりたいと感じているものが継続できない

というところもその後の質疑応答などでも
話せたところかもしれません

参加をして下さった皆さん
サポートで連絡調整をしてくれた皆さん
急きょ、会場にお越しいただいたお二人
本当にありがとうございました。

つたない進行であったこと、wifiの環境調整の不備や音声の乱れで
ご迷惑をかけてしまいました。
オンラインということで発言のタイミングが分かりづらいところなども多々あったように思います
ご意見等があれば、またメール等でお知らせいただけると助かります

また可能であれば12月頃に企画させていただければと思っております
社会情勢的なところもありますが、会場で集まりながら話す+オンラインという形が取れれば
と思っています。



①年代
⇒20代男性

②病名・障害名(または症状や困ったこと)
社交不安障害、発達障害(ADHD)

③これからの仕事について(オープンかクローズか、フルタイムかどうか)
⇒オープンフルタイム 8:30~17:00 一般事務

④アンカー在籍期間
⇒1年4か月

⑤参加してよかった点やカリキュラム
⇒検索発表プログラム(テーマに合わせたものを調べて、発表する)
人前で話すことが苦手だったけど、調べるだけでもOK、聞くだけでもOKという状況だったので
自分のタイミングで取り組めたことが大きかった。

⑥アンカーを利用してよかった点
⇒実習の機会がある。pc(officeソフトの練習できる環境)人目があるのでさぼりにくい


⑦これから利用をされる方のメッセージ
朝起きる事や志望動機をまとめる事に苦労しました。その時々で相談したり
電話等で促してもらったりしながら通所の安定を保てたように思います

特性的なこともあり、朝が苦手でしたが数か所通った実習は遅刻も欠席もなく
どこも高評価でその中で自分に合うところに就職できたと思います
早い段階で内定等の話しもいただきましたが、働きやすさなども考えて
じっくりと取り組めました

当初のような緊張感の高さは減り、薬の調整もできたことも大きかったと思います。


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